2015年4月17日金曜日

なぜ日本でキリスト教は広まらなかったか?





自分なりに、
「なぜ日本でキリスト教は広まらなかったのか?」
を真剣に考えてみた。


現在隣国の中国やアフリカ、南米を中心に
爆発的な速度で人々が洗礼を受けてクリスチャンになっているという。

もはやキリスト教は欧米の宗教と呼ぶことはできず、
世界の人々のための信仰になってきているわけだ。

キリスト教は世界でいちばん信じている人が多い宗教にもかかわらず、
日本にはもう何十年も1%以下の人口しかいないと言われている。
その原因はいったいなんなのだろうか?

さまざまな教養書を読んだりやインターネットの意見を見てみると、
どうやらそこには特殊な原因があるようだった。

今回はその原因を自分なりにできるだけ簡潔に、
わかりやすくまとめてみた。

その原因を知れば日本でも、
十字架に掛かったイエス・キリストの愛を伝える
突破口をみつけられるかもしれない。


①日本人の特性
日本の文化はユニークで、世界でもよく注目される。
それにはもちろん日本人という主体が関係してくる。

日本人はどういった人種なのだろうか?
歴史的に、また民族的に列挙してみる。


①-1、歴史的側面
1、日本人は異民族支配を受けたことがない。
2、大陸から適度に離れた位置にある日本は、異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺など悲惨な体験をもたず、また自文化が抹殺される体験ももたない。
3、戦国時代までは布教のチャンスもあったが、広がりきる前に豊臣秀吉にストップを掛けられた。そして、江戸時代の日本は、完成された相互扶助社会を作り上げてしまった。
4、豊臣秀吉(伴天連追放令)や徳川家康(鎖国)がキリスト教初期の布教目的が日本の植民地化だと見抜いた。
5、江戸時代には細々とした近所づきあいをこなし、そこそこ勤勉に働けば、それなりの幸福が得られるようになった。
6、西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展したが、西欧文明の根底にあるキリスト教はほとんど受け入れなかった。

歴史的に見て異国文化的なキリスト教が日本に流入したことはあっても、
国土に根ざして日本文化に取って代わるようなことはなかった。

遣唐使廃止や鎖国の時期を通して、
独自の質の高い文化を養ってきた日本にとってみれば、
天皇崇拝の禁止や現世利益ではなく死後の救済を信じることをもとめられることは、
自分たちの文化への誇りを損なうものだったのかもしれない。

歴史から見て、
「わざわざキリスト教に転向」する益が日本人にはなかったのだ。


①-2、民族的側面
1、庶民は村落や町で自治生活を過ごしていたので、勤勉に働けば現世利益を得られるという希望が常にあった。(現世利益が保証されれば死後の救済に逃避する必要はなかった)
2、人々の最大の恐怖・不幸は、仲間外れ・村八分であって、神の意思ではない。
3、芥川龍之介がある小説で「日本人の造り変える力」について述べているように、宗教にしても、漢字にしても、日本人は外来のものを、自分たちに合うように「造り変える力」があった。
4、葬式仏教による寺院との関係にしても、氏子制度による神社との関係にしても、日本人は今まで慣習としてやってきたことを自分の時に変えるのを嫌う。とりあえず自分の代だけは親がやったのと同じようにやっていこうと考える。
5、現状でご近所と上手くやっているのに、わざわざキリスト教に転向して、村の祭礼を拒否して自ら孤立を招くのは本末転倒だった。
 
日本人にははるか昔から外来のものを
自分たちに合うように「造り変える力」があったのは、
宗教や言語の独自性を見ればすぐにわかる。

神道を軸にしている天皇家でさえ、
聖徳太子の時代に仏教をうまく取り入れたのだ。

そして何千年とつづいている文化を
いまさら自分から変えていこうという気は起こさない。

また「和」という精神が日本人の根底に根づいているように、
周囲との協調性がないことは悪とされた。

それはつまりクリスチャンになってその信仰によって目立つことになるのは、
日本人の民族性からすれば避けたいことだった。

ここにまた日本人にキリスト教が浸透しなかった原因が考えられる。


②日本人の宗教観
1、神道だけでなく儒教もあれば仏教もあった。あれもこれもありという国柄だった。
2、便利なものは取り入れて利用するが、魂までは、売り渡したくない。
3、日本がもともと多神教の土壌で一神教のキリスト教は馴染まなかった。(キリストも八百万信仰では神さまの一人。受け入れじたいに抵抗はなかった?)
4、現実的な利益を失ってまで、死後の救済を求める宗教は必要ない。
5、仏教は日本では早くから儀礼化し、神道は現世利益を祈願するものになった。
6、日本人は宗教儀礼と信仰を分別して考える。
7、日本人にとって信仰は現世利益を得るための手段であって、宣教師が求めるものとは大きく食い違う。

まず根本的に日本は多神教の国であり、
それを否定する一神教のキリスト教でさえ
数多ある神のひとつとして考えていたことが想像される。

過去にやってきた、日本人の目には多神教を否定する宣教師の教えは、
とても狭量で排他的な信仰だと映ったにちがいない。

また日本人の信仰の根底にあるのはあくまでも「ご利益」であり、
自分自身に「原罪」が住みついているという考え方はどうしてもできなかった。

「勤勉に働いていればいつか報われる」
それはどの時代の日本人にも根づいている考えだろう。

そもそも英語で「sin」(原罪、ハマルティア)とよばれるものが、
「crime」(罪)とほとんど同義に訳されているのも問題だろう。

「sin」は正確な和訳をすれば
「神に背を向けること、神のことを知らないこと」
という意味の宗教上の罪であり、

「道徳・法律などの社会規範に反する行為 」である
「crime」とはまったく異なる。

福音を伝えるときに「罪」と伝えたところで、
「自分がなんの害を社会に与えたというのだ?」というのが、
一般的な日本人の印象かもしれない。

日本人は無意識に自然に「和」を大切にしてきた民族なのだ。
それが「悪」と言われることに耐えられる人はすくない。



③日本人のキリスト教に対する印象
1、異教聖絶思想・殺戮の歴史、復活論・処女懐胎などの超自然的思想
2、一神教には異教の神との共存の思想がない。
3、キリスト者が熱心になればなるほど、悪意がなくても、そのほかの日本人と、魂において共感できがたいものとなる。
4、日本人の霊性や神を決して認めないキリスト教徒は、自覚はないと思うが、日本の文明や文化・魂を認めないことになる。
5、仏教以上に日本人の宗教生活の中心であった先祖供養に対して、キリスト教が寛容の精神を見せず、排除的であった。(祖先祭祀を捨ててまでキリスト教に入信することは、極めて難しかった)
6、宣教師たちは、良くも悪くも個人主義的な信仰を是とした。社会や生活集団全体を取り込もうという意識がなかった。

そもそもキリスト教をはじめ「宗教」そのものが
日本人にとってイメージが悪い。

「宗教」は信じるものの違いによってたくさんの殺戮を生み出してきたし、
数えきれないほどの争いを現在にいたるまで引き起こしている。

日本人は「宗教」に空気みたいな存在であることを望む。
平和的な日常をおびやかしたり、介入してくるようなものは
「宗教」として受け入れがたかった。

キリスト教は日常的に人間のなかにある罪との戦いを求める。
聖書の教えは平和を好む日本人の肌には合わなかったのだろう。


④日本人たちの素朴な疑問
ここでかつての布教についての逸話をいくつか紹介したい。
これを読めば日本人の国民性がすこし垣間見えると思う。

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日本の各地でザビエルは布教しましたが、
出会った日本人が彼に決まってたずねたことがありました。

それは、「そんなにありがたい教えが、
なぜ今まで日本にこなかったのか」ということでした。
そして、「そのありがたい教えを聞かなかったわれわれの祖先は、
今、どこでどうしているのか」ということでした。

自分たちは洗礼を受けて救われるかもしれないけれども、
洗礼を受けず死んでしまったご先祖はどうなるのか、
やっぱり地獄に落ちているのか・・・・・

当時の日本人はザビエルにこういう質問を投げかけました。
元来、キリスト教においては洗礼を受けてない人は皆地獄なので、
ザビエルもそう答えました。

すると日本人が追求するわけです。
「あなたの信じている神様というのは、
ずいぶん無慈悲だし、無能ではないのか。
全能の神というのであれば、私のご先祖様ぐらい救ってくれてもいいではないか」

ザビエルは困って、本国への手紙に次のように書いた。
「日本人は文化水準が高く、よほど立派な宣教師でないと、
日本の布教は苦労するであろう」と。



そのほかにも『もし神様が天地万物を造ったというなら、
なぜ神様は悪も一緒に造ったのか?
(神様がつくった世界に悪があるのは変じゃないのか?)』
などと質問され答えに窮していたようです。

ザビエルは、1549年に日本に来て、
2年後の1551年に帰国しますが、
日本を去った後イエズス会の同僚との往復書簡の中で
「もう精根尽き果てた。自分の限界を試された。」と正直に告白しています。


集団原理の中で生きてきた日本人にとって、
魂の救済という答えは個人課題ではなく
先祖から子孫に繋がっていくみんなの課題であったはず。

「信じるものは救われる」=「信じない者は地獄行き」といった、
答えを個人の観念のみに帰結させてしまうキリスト教の欺瞞に、
当時の日本人は本能的に気づき、
ザビエルが答えに窮するような質問をぶつけたのではないでしょうか。

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上に似たような話ですが、こんなものもあります。

「デウス様を信じないと地獄行きだということは、
おらのじいさまも地獄にいるだか?」と農民に言われ、
「そうです。でも、今なら間に合います。
あなただけは助かるので信仰しなさい」
と宣教師が言ったところ、
「おらが祈ったって、じいさまを助けてくれないなんぞ、
そったら神様なんて要らねえ。
地獄に落ちるなら、じいさまのいる地獄に一緒に落ちるだ」
と言って、改宗を嫌がったそうです。

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また江戸時代の学者である新井白石は
宣教師たちにこうたずねました。

「人類始祖の堕落を何故数千年も後になってあがなうのか」
「我々の先祖は救われないのか(無能な神だ)」

キリスト教の理不尽さを攻め宣教師達は反論できず、
宣教が不可とされたそうです。

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このように日本人にはごく自然にわいてくる
キリスト教の教義への疑問があった。

そして残念なことに宣教師たちはそれに答えることができなかった。

それは日本人がキリスト教の信仰にいたらなかった大きな原因であるし、
日本では広まらなかった致命的な理由になったのだろう。


⑤戦後の布教活動が失敗した原因とその後
日本の歴史の背景を見ていくと、
そもそもキリスト教が栄える土壌が日本にはなかったことがわかる。

発展していく国、豊かになっていく生活、
紛争も飢餓もないし、みんなが平等に教育を受けることができる。

侵略されたこともない、強要されたこともない、
そんな国で死後の話をするなどナンセンスだった。

第二次世界大戦が終わって天皇崇拝が消えていったあとでさえ、
焼け野原からどうにか立ち上がろうとする国全体の動きを生み出した
日本特有の団結力に福音が入るすきまがなかった。


では、いまでも福音が入りこむ余地はないのだろうか?


日本はせまい島国だと言っても、
当然福音が心に届いた地域もある。

長崎で殉教していった数々の隠れキリシタン、
クラーク博士、新渡戸稲造、内村鑑三で有名な札幌農学校、
僕の友人の住んでいる三重県四日市市でも、
都市部と比較して地域でキリスト教が根づいているようだった。

限定的な地域では
聖書の教えが大きな影響をもっているところもあるようだ。 


年間自殺者数の統計を見てみても、
この平和な国にはまったく問題がないとは言えない。

生活が豊かになっても、
満たされていない心がたくさんあると想像できるだろう。

もし彼らに福音が届いていたら?
死を選ぶ前にきちんと死後についてもっと深く考えられたかもしれない。

ほかにも「和」になじめないマイノリティーはたくさんいる。
彼らに福音が届いたなら?


さらには、かつて人々がそうであったほどには、
現代の若者は先祖供養をあまり重要視していない。

現在の20代の若者はバブルのあとに生まれた世代で、
生まれたときからだいたい裕福で、物質に恵まれていた。

先祖に感謝して高度経済成長期にがんばっていた親たちは、
「子どもたちに苦しい思いをさせたくない」と懸命に働いた。

その結果子どもたちは放蕩するのが普通になった。
社会に出たら「根性がない」「ゆとりだ」なんて言われるようになった。

子どもたちは子どもたちで、
なぜそんなことを言われるのか意味がわからないという気持ちでいっぱいで、
日々のストレスを多様な娯楽に吸収してもらう。

なにかの原因をだれかのせいにして、
自分のストレスはお金をつかってコンビニ的な快楽に処理してもらう。

彼らの人生には目的はない。

しかしその半面、心に十分福音を受け入れる余地があるようにも思える。
自分が「愛されている」ことを心から信じることさえできたなら。


そういった若者のなかには、
ついにいまのこの世のなかに人生に意味を見出せなくなって、
宗教を受け入れる者もいる。

たとえば僕がそうだ。


僕は10代のときからなぜ自分が生きているのかわからなかった。

「お前は恵まれている」
何度親からそう言われてきたかわからない。

そのたびに、
平和な日本で豊かに過ごしているうちに、
日常的に日本の外では紛争や飢餓で苦しむ人たちが
いることを忘れている自分を憎んだ。

それが人間のおそろしい側面なのだと思うと、
僕は自分が恵まれているとどうしても思えなかった。

生活は豊かでも、
心はちっとも豊かではなかった。

そしていつしかこう思うようになった。

日本は「和」を大切にしている国だけれど、
世界の「和」のことはちっとも気にしていない。

それは異常なことじゃないだろうか、と。

日本に福音が届けば広い視野で物事を見て、
世界の「和」を考える人が増えるんじゃないだろうか。


やがて僕は福音を心のより奥深くで
受け入れられるようになっていくほどに、
生活よりも心の豊かさをもとめるようになっていった。


日本にはそんなふうに心の豊かさをもとめる人は多い。たぶん。


彼らに福音を伝えることができたなら、きっと受け入れるだろう。
肝心なのは忍耐づよく伝えつづけることだ。

でも、どうやって?


つぎはそれについて考えてみたいと思う。





注)列挙した文章はインターネットの情報の引用や感覚的な部分が多いため、
  同意されない方もいられるかもしれませんが、一個人の意見として
  とっていただければ幸いです。


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